サバゲーとか、軍装とか。

趣味の話、日頃の話、等々。ときどき仕事の話も…

クルマ選び

自動車が必須な地域に越してきて数年。流石に公共交通機関だけでの生活はキツいな、と感じて初めて車を購入。

そこで買った車が中古のトヨタのセダン。セダンに乗りたいという憧れもあったし、雪道を走ることになるから必然的に四駆がいい。その中で見つけたアリオンという車に今も乗っています。

納車されてから今まで全く不自由しない良い車で、SUV並みに不整地を走ることさえ出来ないものの、快適なドライブ時間を与えてくれる…

 

ただ、天邪鬼な気のある人間なので、快適な車に乗っていたらその逆を求めてみたくなってしまう次第…(まぁ現職時代に乗っていたトラックほどのレベルになると…笑)

 

そんな矢先に見つけたこの車。

https://www.google.co.jp/search?q=UAZ2206&client=safari&hl=ja-jp&prmd=ivsn&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwj_--zF-_jwAhUb7WEKHQ3jCZQQ_AUoAXoECAIQAQ&biw=375&bih=630

“UAZ2206”「ワズ 」とか「ねこバス」「ガチャピン」なんて呼ばれていたりするこの車がもう好みにドストライクに来てしまって…

 

ロシアの車なんて言ったらどんな目で見られるかは分からないけど、これはもうビビっときてしまったのでどうしたものか…

車体も5ナンバーのセダンとは比べ物にならないし何しろ左ハンドルMT。日本で乗りこなせるか不安ではあるけど…補ってあまりあるロマンの塊。

 

とりあえず貯金から始めてみようかなと思った6月の夜でした。

北炭夕張新炭鉱通洞口《2021,5/31訪問》

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夕張市は清水沢清陵町にある、北炭の炭鉱遺構である。
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北炭が誇る新鋭炭鉱として採掘を行っていたが、1981年10月16日にガス突出による坑内火災を起こし93名の鉱夫が命を落とした。
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この通洞口がある場所は炭鉱住宅街の近傍で、通洞口を抜けた先に夕張新炭鉱があった。
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炭鉱跡を見させてもらっているだけの立場だが、慰霊碑に手を合わせた。
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慰霊の場を漁るのも気分がならないためらサラッと見学をして新炭鉱の散策を終えた。

住友赤平炭鉱《2021,4/3訪問》

住友赤平炭鉱第1立坑櫓

旧住友石炭(現住石マテリアルズ)が北海道赤平(あかびら)市で1963年に完成させた炭鉱だ。1994年に閉山し、立坑櫓関連構造物や坑口浴場の建物を残して大半は解体された。

2018年に赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設が隣接地に開業。現在は1日2回、800円の参加費を支払うことで立坑櫓及び自走枠(じそうわく)整備工場跡を、元赤平炭鉱職員の方によるガイド付きで見て回ることができる。

ちなみに資料館は無料だ。

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【資料館】

こじんまりした資料館だと感じたが、物足りない訳ではなく、コンパクトにまとまっていると言う印象だ。

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炭鉱救護隊を紹介しているコーナー
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現場系の職場ではよくハインリヒの法則などという言葉を聞くが、災害防止教育教材としてわかりやすいドミノ形式で示されている。
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救護隊の救護服は純綿製。化学繊維より静電気の発生が抑えられるららしく、出動時にはさらに水をかぶってさらに静電気の発生を抑える。

坑内では静電気は大敵なのだ。

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赤平炭鉱一帯の模型。閉山時より前の状況を表しているが、これで完成かと思いきや壊れているそうだ。

【いざ立坑櫓へ】

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-550L(レベル)巻き上げヤード。手前の見切れている装置が巻き上げ機、奥は制御台だ。

そもそも立坑とは巨大なエレベーターで、赤平炭鉱ではそれぞれの海抜から-550Lと-350Lという2つの行先があった。

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制御台内部は当時のカレンダーまで保存されている。
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隅にはマンガのような巨大なスパナが。これまた巨大なナットを締めるのに使っていたそうだ。

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巻き上げ機。

巻き上げヤードの根幹である巻き上げ機はロープこそ残っていないが、今にでも動きそうな雰囲気を醸し出している。

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操車場。

硫黄のような匂いが充満する。

ここが見たくて訪れたようなもので、実物を前に興奮が抑えられなかった。
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炭車とズリ車。

黄色いトロッコが石炭を乗せる炭車で、1両に約2トンの石炭を乗せていた。最盛期で約3000両あったが、それでも数が足りなかったそうだ。

黒いトロッコは石炭以外の岩土、いわゆるズリを乗せていた。
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操車場の制御台。

立坑を使い地上に降りてきた炭車は操車場内で前の炭車を押し出すように自動的に行き来し、石炭を下ろした後にまたゲージに戻るという動きを繰り返す。
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転轍機の操作板と椅子。

前述したように動き続けている炭車を完全に止める時が1日に何度かあった。

そのための操作をしていたであろう制御版の周辺はとても保存状況が良い。
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立坑鉱口と立坑ゲージ。

鉱口櫓の建設には東京タワーの建設に関わった職人も多かったそうで、完成から半世紀がとうに経過しているが構造物としての強度は依然保っているそう。

ゲージは縦に4段、炭車は4台人員は72名が乗るできる。人員が乗り込む際の時間短縮のため、操車場の地下に人員用の乗り口が作られている。
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炭車とダンパー。

単車の横に見えるダンパーを使い、炭車を弾き出す。操車場の肝ともいえる箇所だ。
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斜坑人車。

この人車は付近の斜鉱から持ってきたらしい。

坑口を向いて座り、背中側から坑内へ降っていく。

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立坑櫓横の事務所跡。

薄ピンクの可愛らしい塗装だがかつての鉱口事務所で、住友炭鉱職員向けの浴場等を併設していた建物。

正規の見学コースには含まれていないが、ガイドの方の好意で少しだけ教えてもらえた。

この建物を横目に見ながら立坑櫓見学は終了する。

 

【訪問所見】

炭鉱町というのは得てして寂れているものだが、赤平市炭鉱ガイダンス施設のような施設を新設出来るほどの余力があるというのは驚いた。

当日の来訪者は私を除くと親子連れが1組。そのグループも立坑櫓見学は参加しなかったため、元赤平炭鉱職員の方とのマンツーマンでの見学ができた。立坑櫓の跡に向かった自走枠整備工場など、くだらない疑問にも丁寧に分かりやすく答えていただいた。

事前にもうすこし予習をしてから再度訪問をして見たい。

 

赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設】

住所:北海道赤平市485番

 

 

近況報告

緊急事態宣言も解除されてしばらく経ちますが、いかがお過ごしでしょうか?

相変わらず「サバゲがしたい」とは言うもののサバゲには行けていない今日この頃…

夏には落ち着くだろうと思っていましたが、これはまだ長引きそうですねー

 

ところで、先日仕事先で元自衛官の方とお話をする機会があり、いろいろと興味深いお話を聞くことが出来ました。

どの層に需要があるかはわかりませんが、時間があったらまとめたいと思います!

 

千歳市の廃線跡

北海道千歳市

千歳市(ちとせし)は、北海道中部(道央地方)に位置し、石狩振興局に属する市。

「北海道の空の玄関口」である新千歳空港があり、国内線の東京(羽田)—札幌(新千歳)間は単一路線としては世界一の乗降客数を有している[2][3]。国際線と合わせた乗降客数は年間約2,000万人に達している[4]。また、陸上自衛隊第7師団と航空自衛隊第2航空団の基地や演習場があり、自衛隊と共存した社会を築いている。陸上自衛隊東千歳駐屯地・北千歳駐屯地、航空自衛隊千歳基地の合計隊員は推定で約8,700人で、退役者や隊員の家族を含めると、市内人口の約25 %を占めている[5][6]。市内には空港があるほか、高速道路(道央自動車道道東自動車道)や港(苫小牧港)にも至近距離であることから工業団地が集積している。札幌市中心部までは車でおよそ1時間(高速道路利用)、鉄道で約30分から40分(特急・快速列車利用)で行くことができる。(Wikipedia引用)

 

さて、そんな千歳市の第7師団のお膝元に今回の廃線跡があります。

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道道258号線と東大通の交差点、この周辺から廃線跡は当時の(高架になる前)千歳線から分岐します。

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分岐点付近から南千歳駅方向を見た図。

赤い線でマークした辺りが盛土になっており、軌道跡であった雰囲気が感じられます。

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青葉2丁目交差点から南千歳駅方向に少し進むと、道路と軌道跡の交差点があります。画像上は千歳線方向、下は東千歳駐屯地方向で、遙か彼方まで防衛局のガードレールが続いているのが確認できます。

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アンカレッジパークと呼ばれる公園を抜けて、千歳市日の出5丁目5番地付近の道路上で、道路と軌道跡が合理します。画像上が千歳線方向、画像下は東千歳駐屯地方向です。

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南長沼用水路を越える橋の手前。

他の方のブログによると、軌道跡はこの辺りから道路の左側を通っていた様です。

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用水路を越えると道路左側に怪しい軌道跡の様な部分が!

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道央圏連絡道路の高架を潜った先の交差点より。

赤い線でマークした辺りに未舗装路の様な部分があり、ここから先、軌道跡は東千歳駐屯地の敷地内になります。

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引き続き軌道跡は道路に並走しています。

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柏通用門への交差点があるこの辺りでは既に軌道跡は駐屯地の方向に曲がっていきます。

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さらにしばらく進むと防衛装備庁千歳試験場への分岐が現れます。この周辺には燃料タンク置き場があったようで、航空写真からはその跡地とされる開けた土地が確認できます。

 

廃線跡は柏通用門から東千歳駐屯地に入り、駐屯地内の積み込みホームまで続いていたようで、残念ながら駐屯地内の積み込みホームまでは民間人の身では見に行くことができないため、終点付近がどうなっているのかは確認ができませんでした。

2020年現在、道中で軌道跡の存在を確認出来るのは残念ながら千歳線より分岐して日の出5丁目に至る区間のみで、それ以外の地点では軌道跡や廃線跡を感じさせる部分はほぼありませんでした。

廃線跡が引き込み線として運用されていたのは1975年の在日米軍北海道駐屯部隊撤退までとされ、それから50年近く経っていると考えれば妥当かも知れません。

 

 

今回参考にさせた頂いたサイト等

国土地理院地図航空写真閲覧サービス 様

https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearchMobile.do

千歳線乗車案内・の忘れ物 様

https://geolog.mydns.jp/motor.geocities.jp/chitoseline/chitose-subline.htm

陸上自衛隊:91式曹士用第1種冬制服

皆さまお久しぶりです、流行病で騒がしい昨今如何お過ごしでしょうか?

今回も縁あって入手したアイテムのご紹介です。

 

91式曹士用第1種冬制服

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日本の陸上自衛隊が、旧来のベージュ色主体の制服から1991年に更新した制服です。

91式制服と呼ばれることの多いこちらの制服、幹部用・曹士用の2種類があり、その中でも冬服1種・2種・夏服1種・夏服2種・夏服3種が設定されています。

それぞれ1種はジャケットを羽織った状態、2種はジャケットを羽織らない長袖ワイシャツとネクタイのみの状態、3種は半袖ワイシャツを着用した状態とされています。今回は冬服1種を見て行きます。

《上衣(ジャケット)》

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(1枚目)

タグがひっくり返ってますが、サイズは5Aと表記がありました。

襟は特徴的なピークドラペル。上襟の階級章は陸曹長で、下襟の職種き章は普通科です。

右腕にはマジックテープが縫い付けてあり、それぞれの部隊章が貼り付けられます。この制服には第1師団の普通科連隊の部隊章がついていました。


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(2枚目)

左袖前腕部には精勤賞が縫い付けられています。陸曹用精勤賞はV字型で、陸士用精勤賞は斜め線のストライプ型です。この制服につけられている精勤賞は10年分を一まとめにしたものが2つ付いていますので、この制服の持ち主は陸曹に昇任後20年以上は勤務していたものと推測されます。
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(3枚目)

上衣の裏地はいわゆる背抜きです。左右胸部には内ポケットがあります。また左胸内ポケット下には氏名や部隊等の記名欄があります。

シングルベントの切れ込みも確認出来ます。
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(4枚目)

記名欄上に若干の毛羽立ちが確認出来ました、おそらく名札か防衛記念章を取り付けた跡でしょう。

 

《下衣(スラックス)》

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下衣はストレートなスラックス様で、前止めはジッパーです。

こちらは至って普通のスーツや制服と作りは変わりませんでした。また写真を撮りながら気づきましたが、こちらの下衣と上衣は素材が全く別で下衣だけは別で誂えたのだろうと思いました。

 

《まとめ》

91式制服が採用されて約25年目の2016年に陸上自衛隊に新制服を採用すると発表されました。既に4年も経過している現在でも未だ91式制服は頻繁に目にします。

画像では伝えにくいですが、91式制服が採用された当時のファッションスタイルとして、肩パッドをはじめとしたややオーバーフィット気味のシルエット等、細身なシルエットの新制服と見比べると幾分か時代を感じるデザインの91式制服は遅かれ早かれ代替わりする運命だったのでしょう。

 

流行病で緊急事態宣言が出されて暫く経ちましたが、このページを見に来ていただいた皆様のご健康をお祈りしています。

それでは皆さんに良きミリタリーライフのあらんことを。

 

そういえば、こんなところに…

年も明けて暫く経ちましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか…

先日も触れた通り、私は最近めっきりミリタリーから遠のいた生活を送っているので不完全燃焼気味の日々です。

 

ところで先日仕事で茨城県土浦市に行ってきました。車は無いので電車で…🚃

ミリタリ的に土浦市といえば、古くは海軍の航空隊。現在は陸上自衛隊の駐屯地が2つも所在する市で、霞ヶ浦駐屯地・土浦駐屯地ともに毎年の記念行事は賑わっているようです(残念ながら今年の記念行事は中止だったそう…)

本当ならば土浦駐屯地の予科練記念館なんかも見てみたかったのですが、昼間は仕事でガッツリ拘束。見学はまたの機会になってしまいました。

仕事も終わり駅前の歓楽街で仲間と呑んだ後、酔い覚ましに駅周辺をフラフラしていたら興味深い場所が…

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陸橋沿いの商店街「モール505」

大半の店舗が空き店舗となり、夜間の電灯と相まってまるで自分だけ異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥ります…

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この場所はかつて霞ヶ浦に続く川が流れていて、その跡をなぞるが如く蛇のように唸った構造。
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三層構造の建物はほぼ空き店舗。三階には暫く人が立ち入った形跡はありません。

 

駅から徒歩数分。近傍には駐車場まであるこの商店街。

自衛隊駐屯地が2つもある街にしては活気がなく寂しい印象。歴史ある軍都かと思っていましたが、どうやら過去の栄光のようです…

 

モール505の中には現役の店舗もあり、今も商売を営んでられています。

年に一度霞ヶ浦で行われるマラソン大会ではこの場所が使われるようで、人が完全にいなくなったわけではありません。

 

「こんなところがあるんだなぁ」と考えながら、酔い覚ましにはちょうどいい散歩道でした。