青森港八甲田丸資料館
夏のとある日。青森県にあるかつての青函連絡船を保存してある資料館へ行って来た。
入ってから目に付いた彼らは、往時の青函連絡船にまつわる人々をモチーフにしたマネキンたちである。
実は彼らはもともとここに居たわけではない。
20年ほど前の話になるだろうか。
東京はお台場にあった“船の科学館”に、八甲田丸の姉妹船“羊蹄丸”が展示されていた。
その船内にあった青函ワールドで彼らは展示されていたわけである。羊蹄丸亡きいま、彼らは青森で余生を過ごしている。
羊蹄丸は船内が博物館の別館のように劇的ビフォーアフターされていたが、八甲田丸では当時の座席などが残されている。
こちらは飾り毛布の畳み方だそうだ。
本物をお目にかかったことはないが、客船での船旅に花を添える大事な存在だったのだろう。
まるで味気がないが、かつての一等船室。
数時間の船旅のために一等を取るようなリッチな大人になりたかった…
操舵室、艦橋、ブリッジ…
商船ではなんというのかわからないが、男子の心をくすぐる計器が大量に並んでいる。
場所を変えて、展望台になっているファンネルに上ると船体の上部がよく見える。商船かつ短距離の往来しかしないためか非常にあっさりしているように思う。
青森駅の構内が見渡せる。
本州最北の駅。ここで全ての線路が途切れる。
色褪せて物悲しいJNRの文字。
青函連絡船自体は国鉄民営化よりも後に廃止されているので、この塗装は復刻版ということだろうか。
青函連絡船特有の装備。列車をこの装置で固定する。
今なら大量のトラックでも載せていそうだが、この甲板には列車が入っていた。
車両甲板を過ぎると機関室。
どこかで嗅いだ覚えのある機械油の匂いが鼻につく。
あまりに大きすぎてピンとこないが、エンジンというからには車に乗っているものと原理は一緒なのだろう。
屋根の低い期間制御室はこれまた計器まみれ。
アナログよりデジタルに触れて育って来た人間だが、なぜか親しみを感じてしまうのは何故なのか。
ひとしきり見て回って下船した。
夏の蒸し暑さの中でも、見学中に脳内では津軽海峡冬景色がリピートで再生されていた。
次に来るなら冬で、凍えそうなカモメを探したいと思う。
三弦橋《2021,9/28》
シューパロダムの管理事務所方向、てっきり部外者進入禁止だと思っていて行ったことがなかった。なので今回が初新入。
まだ頭は見えているが、そろそろ水嵩も増してくる頃だろうか?
北炭真谷地炭鉱楓鉱跡の周辺施設《2021.9/6訪問》
国道274号線を紅葉山から少し行ったところにある楓地区、以前から行ってみたかったところがあるので愛車を走らせた。
①クマ出没
目的地周辺には大きな駐車場がある。車を停めてメロン熊に見つめられながら国道沿いを歩く。(多分本物のクマも出る)
目的地までは徒歩5分ほど。
ただ通行量が多いため徒歩だととても目立つ。
③目的地
沢を越える橋にたどり着いたところで目的地を目視にて確認。
この時点でかなり興奮していた。
④???
かと思えば目の前に意味深な構造物が見える。
なんなんだろう。
⑤橋に残る炭山
楓炭山橋と書いてあった。炭鉱が無くなっても橋の名前は変わらないのがなんとなくエモい。
⑥着いた
ここが今回の目的地「北炭楓発電所跡」だ。
⑥⑦楓発電所跡
ただややこしいのがこの物件の経歴…
「楓発電所」として稼働していた期間もあれば、「真谷地炭鉱楓鉱業所の事務所」として稼働していたり、バリバリ夕張時代には「石炭ガラス工芸館」としても営業していたので、それぞれの名前で情報がバラついていたりする。
⑧⑨⑩崩壊している建屋
あまり訪れる人が少ないのか、2021年代のこの物件の情報は少なかった。
しかしまあ空爆でも受けたのかと言うほどの崩壊具合である。2018〜2020の間で崩壊した様子、れんが造りの建屋はどことなく頑丈そうなイメージを持っていたが、北海道の冬はそんなちんけなイメージを覆してくれる。
11,12石炭ガラス工芸館の入り口
石炭ガラス工芸館の入り口側の妻面は全体に化粧板や灯り取り?の窓が多く、オリジナルの状態から手が加えられているが、これはこれで石炭ガラス工芸館の状態を保っているように見える。今回は内部の探索はしていない。
13かえで橋
取ってつけたような橋があるが、こちらはまた違う物件とこの物件との連絡のための端である。
渡るのは遠慮しておいた。
13,14,15,16 裏口
裏口側はオリジナルの風情を保っているように見える。
崩壊していない方の建屋妻面には「北海道炭礦汽船健康保険組合〜所」という表札も残っている。(北海道炭礦汽船とは北炭のこと)
17 登川神社
発電所跡のすぐ横にあるこの神社は、閉山後に撤去された抗口神社の跡地に再建された。
18 登川神社横の空き地と鶴亀橋
⑤の橋の延長線上にあるのが鶴亀橋。橋の下はぬかるんでいて、沢か何かだと思っていた。この時までは…
19鶴亀橋
発電所跡の探索を終えて車を停めた駐車場の方へ戻る。
20 抗口…
ふと橋の下を見ると謎のコンクリート構造物。
砂防ダムだと思っていたが、見覚えのある配管が刺さっている。これは…
21 坑口のプレート
“添卸斜坑々口”と書いてある。
砂防ダムではなく坑口だった…!
まさか何にも考えずに見つかるとは……
この奥にも坑口があるようなので、いつか探索してみたい。
21 消防団の車庫跡?
帰り道に火の見櫓のある建物が見えた、おそらく消防団の車庫だったのではないか?と思う。
23,24 北海道物産センター跡
①のメロン熊の看板と13の橋、そして今回車を停めた駐車場が隣接している物産センター。
バリバリラーメンの看板があったが、是非現役時代に来て食べてみたかった。
思いつきでフラッと立ち寄った発電所跡だったが、思いの外発見が多かった。
次回は虫も草も少ない冬に装備を整えてリベンジしてみたい。
《場所》
国道274号線紅葉山を過ぎて約5キロ
【建屋に入るのは自己責任、あくまで不法行為に近しい事に注意してください。】
おまけ
牛丼じゃない方の吉野家《2021,9/5訪問》
夕張グルメといえば、何が思い浮かぶだろう。
「夕張メロン」、「長芋」や「ぱんぢゅう」なんかが有名どころとして出てくるかもしれない。だが個人的には《カレーそば》を推したい。
数年前に夕張を訪れた時は、夕張駅前の「バリー屋台」でも食べることができたが、何故か今はもう提供していないようだった。
・かつてバリー屋台で食べたカレーそば
今は夕張市役所にほど違い本町通りに店を構える《そば処吉野家》でカレーそばを食べることができる。
・カレーそば ¥850
量が多い…!以前食べた時も思ったが、炭鉱の街の名残なのかそれなりに大きなどんぶりに溢れんばかりに盛り付けられている。
・ごはん ¥200 もセットで…!
お品書きの文句に釣られてご飯も注文したが、ご飯も普通にどんぶり一杯分はある。
女将さんの「沢山たべてね〜」がもはやプレッシャーに感じる量だ。
炭鉱の街恐るべし……
さて、肝心なお味だが。しっかりとした出汁にカレーの風味が良い塩梅で調和している。
とてもとろみの強いスープはそばによく絡み、一緒に口にする事で体がよく温まる。とろみのおかげでスープも冷めづらいだろうから、真冬の冷えた体なら尚のことありがたく感じるだろう。
具材の玉ねぎと豚肉もしっかりと存在感があり、量のわりにあまり飽きはこない。
そばが無くなれば、左手はご飯の器に持ち替えてスープをお供にご飯をかき込む。少なくとも「カレーライス」ではなく「カレーそばのスープとご飯が合わさったもの」であるが、これもまたスルスルと胃に入っていた。
気づけば汗だくだが、完食。
このカレーそばを元にした商品がローソンで売られていたりするが、夕張の地で食べるそれとは比べ物にならないな。と感じた。
余談だが、九月五日は「石炭の日」だったらしい。
《そば処 吉野家》
〒068-0403 北海道夕張市本町4丁目54
北炭幌内炭鉱《2021.8/12訪問》
気づいたらオリンピックが終わっていた。
・幌内(ほろない)変電所
山道の途中に突然不釣り合いなレンガ建築が見える。俗に言う“廃墟”だが、山奥だからか人為的な破壊はほとんど見受けられない。
古風なレンガ建築に現代的な送電塔というアンバランスさが無人の山奥に尚更際立つ。
・幌内神社跡
変電所の横にある苔むした階段を登った先には本殿が、ない。
取り残された様な鳥居と狛犬、潰れた手水舎が物哀しい。
・道
幌内炭鉱地区の一部は炭鉱景観公園として整備されている。スニーカーでも歩きやすいが、画像の様な虎ロープの奥が小川だったりするのでよそ見歩きはしないほうが良さそうだ。
・安全灯室
音羽坑の坑口手前にあるレンガ作りの倉庫の様なもの。坑内で使うランプを手入れや保管をしていた様だが倒壊していて建物の妻面付近しか残っていない。
・音羽坑坑口
北海道近代炭鉱の原点とも言える場所がサラッと現れる。案内看板が無ければ茂みの中の小さなトンネルだ。
坑口からは水が流れ出ている。
・常盤坑坑口
幌内炭鉱が平成元年に閉山するまで用いられた斜坑。ベルトコンベアにより選炭場に石炭を送る“本卸(ほんおろし)”と人員や資材の運搬をしていた“副卸(ふくおろし)”の2本の抗口が並んでいる。
情報収集の為に見ていたブログでは「硫黄臭がする」と書いてあったが、今回は爽やかな森の匂いだった。
・坑口神社
常盤坑の本卸、副卸坑の間に小さな祠が残されている。
・ズリ山と輸車路
看板の向こうにコンクリート造りの遺構があるのが確認出来たが、偉く大きなハチが居たので退散した。痛いのは勘弁してほしい。
・ベルト巻き上げ室
常盤坑坑口付近にあったコンクリート造りの巨大遺構。坑内から続くベントコンベアを巻き上げる設備があったと思われるが、建物の骨格しか残っていない。
この近辺に転がっていたゴムマット様の瓦礫はもしかしたらベルトコンベアの残骸かもしれない。
・道端の電信柱
管理札の様なものには“☆金岐六”と“昭”の文字が読み取れる。☆マークは北炭の社章の様にもみえる。
・ホッパー跡
選炭場で振り分けられた石炭を鉄道貨車に積み込むための設備だが、三笠市側は藪に生まれて見学できなかった。(ハチもいた)
・何かありそうな場所
ホッパー跡の横にあった謎の空間。
轍と散策路の謎の線がどことなく踏切の様に見えたがこんなところに線路でもあったのだろうか?
・選炭場跡
採掘された石炭を選別する、農業でいうところの選果場にあたる作業を行う場所だが。茂っていて全貌がよくわからない。
・三笠幌内川にかかるガーター橋
三笠鉄道記念館と幌内炭鉱景観公園の間を流れる川にかかる小さなガーター橋。まだ線路が残っている。
・炭鉱景観公園新旧案内板
《訪問初見》
出発が遅くなり、日がかげりつつある中での探索となったが整備された炭鉱遺構は案内板も多く、見て回りやすかった。
三笠市中心街から道道1129号線を北東に進むにつれ道は細く、荒れた砂利道となるためセダンやコンパクトカーでは少し分が悪いのでSUVやRV車で行けばよかった。
《場所》
〒068-2100 北海道三笠市幌内本沢町